心と身体の総括ノート

書かねばならぬと思った。この身体は私が生きるには窮屈すぎた。この心は私が理解するには煩雑すぎた。違う方向を向いた5人がひとつの身体を共有し維持するには誰かが統括せねばなるまい。

明日になれば

入院してから早2ヶ月半。

閉鎖病棟への入院は初めてじゃないから慣れた。でも思うことはまだまだ沢山ある。
なんで私が。なんで私がこんな事になったのか。なんで私なのか。なんで今さら。

身体は一つなのに。
私の身体なのに。
昔からうまくまとまらない人格たちが憎くて、もういいやって思った瞬間プッツリ糸が切れたんだ。

何度も死のうとした。
後から聞いた話、発見が後少し遅れてたら死ねてたらしい。7日間人口呼吸器に繋がれ、10日間眠っていた代償は今も後遺症として残っている。

追い詰められた、もう逃げ場はない。
そう確信して生きるのを諦めたのに、今更周りの人間がなんとかして私を生かそうとする。医師、看護師、親、ケースワーカー、カウンセラー。この現象が滑稽でかつ不本意で、彼らに本当の気持ちを打ち明けることなく嘲笑している自分に気付く。

ああ、自分はなんて最低な人間なんだって思う。
他人の努力を嘲笑する最低な人間。
でもさ、死にたくて必死になってる人間を必死に生かそうとしてるんだよ?無駄な労力であること極まりない。それともいつか生きていて良かったって心の底から思える瞬間があるとでもいうの?
無責任だよ。オトナはキライだ。

ニヒリズム。冷笑主義。そんな思想を尊重している。膵臓いかれて甲状腺いかれて子宮もいかれて、食べ吐きして、太って、鬱病になって、解離性障害なんてこじらせて、辛くて前を向けない私に掛ける言葉など残ってはいまい。

とにかく私は今の自分を受け止めきれない。自分自身の身体の症状すら理解してない。無意識で暴れたり無意識で身体の関係持ったりしてるなんて殺意と恐怖感に押し潰されそう。

明日になれば治っていないかなぁ
とか、非現実的な希望的観測をする毎日を送っている。